「トイストーリー4」感想・考察 なぜ日本では駄作認定?ウッディおじさんは広い世界に出たいなんて言ってない

賛否両論を呼んだトイストーリー4。全3部全て大好きなため、2つの側面から本作を描いてみよう。ここでは、日本で批判された理由と実際うまく機能していなかった点を紹介する。

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基本情報

監督:
ジョシュ・クーリー
脚本:
ステファニー・フォルサム
アンドリュー・スタントン
出演:
ウッディ:
トム・ハンクス、唐沢寿明(日本語)
バズ・ライトイヤー:
ティム・アレン、所ジョージ
ボー・ピープ:
アニー・ポッツ、戸田恵子
フォーキー:
トニー・ヘイル、竜星涼
ダッキー:
キーガン=マイケル・キー、松尾駿(チョコレートプラネット)
バニー:
ジョーダン・ピール、長田庄平(チョコレートプラネット)
ギャビー・ギャビー:
クリスティーナ・ヘンドリックス、新木優子
ボニー・アンダーソン:
マデリーン・マックグロウ、中村優月
デューク・カブーン:
キアヌ・リーブス、森川智之
ギグル・マクディンプルズ:
アリー・マキ、竹内順子
音楽:ランディ・ニューマン
公開:
2019年6月21日(米)
2019年7月12日(日)

【あらすじ】
おもちゃにとって大切なのは子供のそばにいること”──新たな持ち主ボニーを見守るウッディ、バズらの前に現れたのは、ボニーのお気に入りで手作りおもちゃのフォーキー。彼は自分をゴミだと思い込み逃げ出してしまう…。
フォーキーを救おうとするウッディを待ち受けていたのは、一度も愛されたことのないおもちゃや、かつての仲間ボーとの運命的な出会い、そしてスリルあふれる冒険だった。ウッディが目にする新たな世界とは?ウッディやバズら仲間たちの新たな旅立ちと冒険を描く。(ディズニーより)

日本人に”ウッディの自由”がピンとこない理由

本作で新たに描いたものは、ゴミからオモチャへとアップサイクルされたフォーキーと特定の持ち主を持たないオモチャになったかつての仲間でありウッディとの密かな恋仲であったボー・ピープだ。

これはいずれも2019年時点の世界の潮流だったSDGsへ向けた循環経済と多様性と新自由主義を描いているように私には思える。物や人を一つの役割だと決めつけて、それが消費されたら廃棄というこれまでの考え方にNOを突きつけるものだ。

「人格を持つものが人間の所有物となって良いのか」というシリーズが孕んでいる倫理的な問題をクローズアップした作品となっている

ウィキペディアでは説明している。これは古くは猿の惑星シリーズやブレードランナーなどSFにおいてはよくテーマに挙げられる問題である。

日本の場合は、アニミズムや全体主義が根強いので「支配者を明確にすること」に対して鈍感である。日本人にとってはこうした議論は根っこの部分で理解しにくいのではないだろうか。それぞれの役割は社会や国家全体の為に機能しており、相互補完的である。

そのため「自分の主権は自分」だということを、ことさらに口にすることはあまりない(最近はそうでもないが)。

また、前3作が日本で人気を博したのもこうしたチーム愛や利他精神が理解しやすいものであったことも無関係ではないだろう。

ウッディは本当に自由を求めていたのだろうか?

そして、本作は演出にやや難があったことは否めない。ウッディの葛藤は、恋と忠誠の選択なのか、与えられた役割と自分自身の心の声との選択なのか、はたまたボニーの幸せ以上の幸せや、自分の新しい役割の発見を描いたのかが不明瞭だ。

なにより、あれだけ頑固な仲間思いのウッディがバズのたった一言だけでアッサリ仲間と離れることができるのかというと旧来のファンであれば首をかしげざるを得ない。ボニーが背中を押していれば話は違っただろうが…

ボニーの幸せのためにだけに学校行きのカバンに忍び込むような無茶をして、フォーキーの面倒を買って出る面倒見の良すぎるウッディおじさんが、突然「子どもはたくさんいる」「こんなに世界は広いんだもの」と言われても、心変わりする決定的な理由がないのだ。

結果ウッディやボーが、決まっていたラストに向かって動かされているお人形に成り下がってしまったのは本当に残念である。

本作のテーマである「自由への選択」という意味でも、意志を宿した人形たちの決断という意味でも本シリーズでは繊細に取り扱わなければいけない部分だったのではないかと思う。

とはいえギャビー・ギャビーに関するシーンはとても感動した(これは別記事にて紹介)、タフになったボー・ピープや羊ちゃん達の活劇は微笑ましくもたのしいものであったのは最後に付け足しておく。

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