映画「天気の子」考察・雨の東京と”ライ麦畑”へのアンサー(ネタバレ感想)


小説「ライ麦畑でつかまえて」への新海誠流のアンサーが本作には込められている。
それこそが”賛否両論”といわれている理由でもある。

本作で深海は、主観こそ世界をつくるもの。幸せもまた主観にあると明確に示した。
そして彼の主観は一貫して「純粋な気持ちを抱き続けること」に向かっている(新海誠作品は全て「初恋」に向かう)それはどんな事より大切なんだよ。と殊更に訴える。これは”ライ麦畑”のテーマとも類似している。

本記事では、その点を読み解く。

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基本情報

監督・原作・脚本:
新海誠
音楽:
RADWIMPS
出演:
森嶋帆高ー醍醐虎汰朗
天野陽菜ー森七菜
夏美ー本田翼
天野凪ー吉柳咲良
須賀圭介ー小栗旬
安井ー平泉成
高井ー梶裕貴
冨美ー倍賞千恵子

「あらすじ」
連日雨が振り続ける、天候の調和が狂っていく時代。離島から東京に家出してきた来た高校生の帆高。生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく手に入れたのは、怪しげなオカルト雑誌のライターの仕事だった。ある日、帆高は都会の片隅で陽菜という少女に出会う。ある事情から小学生の弟と2人きりで暮らす彼女には「祈る」ことで空を晴れにできる不思議な能力があり……。

□「ライ麦畑でつかまえて」の基本情報□
題名:「ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)」
作者:J・D・サリンジャー
刊行:1951年
概要:高校を放校となった17歳の少年ホールデン・コールフィールドがクリスマス前のニューヨークの街をめぐる物語。口語的な文体で社会の欺瞞に対し鬱屈を投げかける内容。世界中で愛されている青春小説の金字塔。”この世の全てがインチキで、大人が大嫌いなホールデンに”10代の文系少年は、皆一度は心を揺さぶられる。

※ここより完全にネタバレします。また、「ライ麦畑でつかまえて」のラストについても言及します。ご注意ください。

雨が降り止まない東京は、幸福な時間のメタファー

本作のテーマの一つは雨だ。トップシーンからラストシーンまで一貫して雨が降り続いている。小説”ライ麦畑”の特に印象的なシーンもまた雨の中だ。

とにかく(雨で)濡れてしまっていた。でも気にしなかった。フィービーがぐるぐるとメリーゴーランドを回っているのを見たとき突然、僕は幸福を感じた。真実、僕は幸せだった。その理由は分からない。それは彼女がとても素敵に見えたということ、彼女が青いコートとそれらすべてと一緒に回り続けていた。神様、あなたがそこにいたらいいのに。”
「ライ麦畑でつかまえて」 より抜粋,P213(自主和訳なので概要部のみ)。

この引用部こそ、本作が最もオマージュしたパートだろう。この幸福感が維持された状態が雨の中なのだ。

主人公帆高の持ち物として何度も「ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)」が登場する上、引用部をモチーフとした帆高のモノローグも劇中で使われている。

帆高と陽菜と凪、3人の逃避行の束の間やっとできた憩いの時間。そんな中で帆高は神様にこの時が永遠に止まって欲しいと願う。

「神様(中略)どうかこれ以上、僕らから何も引かないで、そして足さないでください」

この一言は、まるでメリーゴーランドで回っているかのようではないか。

時間になれば降りなければならない、そして時計の針はまた動き出す。
だがこの瞬間だけは真実、幸せなのだ。

それを雨が降り止まない東京に重ねている。
だが、時間になると雨は上がり、陽菜が姿を消している。
これは一夏の恋の終わり、現実との対峙などいわゆる少年時代の終焉を意味している。

世界を自分に合わせればいい

”ライ麦畑”ではこの幸せな一瞬はこれからもきっとやってくると希望を抱き、ホールデンは帰路につくが、「天気の子」では世界がメリーゴーランドに合わせる事を求め、もう一度雨を降らせにいく。

この行為には、二つの意味が込められている。
一つは、自分は変わらなくても構わないと思っている点。
メリーゴーランドは周り続けるべきだということだ。

そしてもう一つは、メリーゴーランドが周り続けるには世界が変わるしかないということだ。

ライ麦畑に関わらず、雨の描写の意味は「悲しみ」などマイナスな現状だ。つまり世界にとって「雨の降っている状況」とは嫌な、変えて欲しい状況なのだ。

その事を本作は何度も描いているし、主人公達もまたその恩恵を心で感じている。
しかし、帆高にとっては結局、雨が降っている時間こそが何物にも代え難い初恋の想いそのものであり、その幸せを誰にも奪われまいと世界の全てをはねつけ駆け出す。
その行為は、世界が変えて欲しいと願っている状況を停滞させることに繋がるが、誰かのためにこの人がなくなるというのなら、雨が降り止まず世界が形を変える方がマシだと決断する。

こうして世界そのものを、自分の主観の世界に変えてしまってから帆高は帰路につく。完全な勝利である。世界は雨に包まれているけれど、それがどうしたっていうんだ。それは幸せの証だ。メリーゴーランドは周り続けているのだから。

自分が変わる必要なんてない、ライ麦畑にいたいのなら世界をライ麦畑にすればいい。少なくともの自分の心の中だけは、それでいいんだと本作は告げているのだ。

これは主観が世界を叩き伏せてしまった物語。
「純粋な気持ちを抱き続けること」はどんな事より大切なんだ。

※「関連作品」※
作中でお馴染み、家出のお供。ペーパーバックバージョン。

雨深海の原点的作品。私はこの作品で雨の日好きになりました。

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