映画「女王陛下のお気に入り」感想・考察 うさぎとアビゲイルの涙の意味は?(超ネタバレ)

女王陛下のお気に入り

2019年アカデミー賞における台風の目ともいえる最多ノミネート作品が本作。

ギリシアの変態監督ヨルゴス・ランティモスによる18世紀における史実を元にした女達の政戦と愛の行方を描いた作品。

本作は女性三人のトリプル主演といえる作品ですが、今日考察するのはそのうちの二人についてです。

  • ”女王陛下”ことアン女王と、彼女が最も大切にしたうさぎ達は一体何の象徴だったのか?
  • アビゲイルが、終盤見せた涙は一体なんだったのか?

どちらにも内包されているテーマは”哀しみ”です。

では、具体的に考察していきましょう。

※完全ネタバレ仕様です。ご注意ください。

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基本情報

監督:
ヨルゴス・ランティモス
脚本:
デボラ・デイヴィス
トニー・マクナマラ
製作総指揮:
ダニエル・バトセク
デボラ・デイヴィス
ローズ・ガーネット
ケン・カオ
アンドリュー・ロウ
ジョシュ・ローゼンバウム
撮影:
ロビー・ライアン
製作会社:
スカーレット・フィルムズ
エレメント・ピクチャーズ
アルカナ
フィルム4・プロダクションズ
ウェイポイント・エンターテインメント
公開:
2018年11月23日(米)
2019年1月1日(英・アイルランド)
2019年2月15日(日)
製作国:
アイルランド
アメリカ合衆国
イギリス
出演者:
アン女王-オリヴィア・コールマン
アビゲイル・メイシャム-エマ・ストーン
サラ・チャーチル-レイチェル・ワイズ
ロバート・ハーレー-ニコラス・ホルト
サミュエル・メイシャム-ジョー・アルウィン
ジョン・チャーチル-マーク・ゲイティス
シドニー・ゴドルフィン-ジェームズ・スミス

「あらすじ」
18世紀初頭、フランスとの戦争下にあるイングランド。女王アンの幼なじみレディ・サラは、病身で気まぐれな女王を動かし絶大な権力を握っていた。そんな中、没落した貴族の娘でサラの従妹にあたるアビゲイルが宮廷に現れ、サラの働きかけもあり、アン女王の侍女として仕えることになる。サラはアビゲイルを支配下に置くが、一方でアビゲイルは再び貴族の地位に返り咲く機会を狙っていた。戦争をめぐる政治的駆け引きが繰り広げられる中、女王のお気に入りになることでチャンスをつかもうとするアビゲイルだったが……。(eiga.comより抜粋)

映画『女王陛下のお気に入り』オフィシャルサイト。2019年5月15日(水)先行デジタル配信。2019年5月24日(金)ブルーレイ&DVDリリース。第91回アカデミー賞主演女優賞受賞!豪華絢爛な王室に、愛と野望が渦巻く英国版”大奥”。最後に勝つのは私。

17匹のうさぎ達の意味は、アン女王の哀しみの象徴

アン女王は、史実の中でも6回の死産、6回の流産を含め生涯に17回妊娠したが、一人の子も成人しなかった。
このエピソードをそのまま使い、作中でアンはうさぎ達のことを「息子達」と呼ぶ。

早逝した子供達の寂しさを紛らわせるために存在したと思われるうさぎ達だが、実はこのうさぎこそが本作における最も大きなキーパーソンだ。

なぜなら、このうさぎに愛想を振りまかなかったためにサラは宮廷を追放され、アビゲイルはうさぎ達を愛でたことでアンに重用されたからだ。

アンは、うさぎ達を本当の王子のように扱っていたというわけではない。

死んでいった子供達の命日にちなんで一匹ずつ増えていってしまったうさぎ達は、アンの心の哀しみ、隙間を具現化した姿そのものだ。

アンにとって最も繊細な部分であり、分かち合うことができれば親密になれる部分なのだ。

アビゲイルは、そのことを理解せずにただアンに同調し、アンの大切なものというだけでお世辞を振りまくことで、取り入ることに成功した。

対して、アビゲイルとライバル関係にあり、宮廷でもアンの相談役として絶対的な権力を誇っていたサラは、うさぎに挨拶するのは気持ちわるいとアンに告げ、相手にしなかった。

しかし、本当にサラはその理由でうさぎを相手にしなかったのだろうか?

アンと幼い頃から友人関係にあった。
ということはサラは、アンの17回の悲しい事実を共に乗り越えて来た関係ということだ。

だからこそ、サラはその悲しみの権化に愛想を振りまくなど決して出来なかったのではないだろうか。

それよりも別に、サラはサラなりのやり方でアンを慰めようとしていたのだと思う。

この慰めに、文字通りな官能的な意味合いも含んでいるあたりが、ランティモス節が炸裂しているところだ。

アビゲイルがサラの手紙を読んで涙したのは、自分へのあわれみの涙

野心家で権謀術数にも長け、色仕掛けも持ち合わせた没落貴族からの成り上がりマシーンことアビゲイルだが、一度だけ涙を流すシーンが存在する。

それも負けん気の強いアビゲイルらしくたった一筋だけの涙である。
彼女は一体なぜ、涙を流したのだろうか?

そのシーンは、ライバルであるサラを宮廷から追い出しアンの寵愛をほしいままにした折、アンに届いたサラからの手紙を目にした時だった。

アビゲイルは自分の地位を揺るがしかねないサラの手紙を勝手に抜き取り、読み通し、アンの手に渡る前に燃やしてしまう。

アビゲイルはそのとき、一人涙を流しながら手紙を燃やすのだ。

手紙の文言は裏までびっしりと書かれていたが、カメラが寄せて訳がついたのは最後の一行「貴方の忠実なるサラより」だけだった。

サラからの手紙だと分からせるための一行という意味もあると思うが、私はそれだけではないと思う。

アビゲイルは、その心からの一言に羨望したのではないだろうか?

貴族の娘に生まれたはずが実の父に裏切られ、ドイツ人の貴族にてごめにされ、臭い泥に突き落とされ女中としての貧しい暮らしを経て宮中に辿りついたアビゲイル。

夫すらも立身出世の駒でしかない彼女には、最早そのような親愛の言葉を言える相手はただの一人もいないのだ。

今やもっとも側にいるアン女王のことすら、自分の人生のための駒としか思えぬ哀しさ。

そんな自分の身の上や、寂しい心持ちに対しての一筋のあわれみの涙なのだ。

ラストシーンのアンとアビゲイルの表情とうさぎは、いずれも哀しみの象徴

ランティモス監督はとにかくラストシーンが上手い!
だからこそ、これほどの名声を手にしたのではないかと思う。過去作「籠の中の乙女」「ロブスター」「聖なる鹿殺し」どれも絶品のラストシーンだが、本作のラストシーンも素晴らしい。

アビゲイルは、アンが大切にしているうさぎを踏みつけにする。
うさぎが上げた苦痛の声を聞き、アンはアビゲイルの本性に気づき、権威的な声で「足をさすれ」と命令する。そして、自分の足をさするアビゲイルの髪をつかみ、杖にするようにその手に巨漢の体重を乗せている。
そうしておいて、自身は立ったまま空虚な表情をしている。アビゲイルもまた、アンの足をさすりながらもどこか空虚を見つめ、さめた表情をしている。どこかを歩くうさぎ達が二人の表情にオーバーラップして重なり溶けていきエンドロールとなる。

前述したが、うさぎはアンの哀しみの象徴である。

そして、アビゲイルはそれを踏みつけにすることで、アンの心からの寵愛を失い、また自身がアンを信頼することももう出来ない人間になってしまった。

アンはアンで、アビゲイルのために、心を砕いてくれた親友であるサラを追放してしまい、さりとてアビゲイル無しでは立っていることも出来ないのだ。

この歪で心ない支え合いの関係を続けていくしかない、二人の心情をその表情とうさぎ達が象徴しているのだ。

この三つが静かに溶け合っていき、本作はエンドロールとなる。

まとめ

うさぎを哀しみの象徴ととらえるところから、アンとアビゲイルを主軸に(サラも含めて)それぞれの哀しみにスポットを当ててみました。

結局のところ、誰一人幸せになっていない辺りに、権力に翻弄された人々の虚しさが本作には現れているのだと思います。

ちなみに私は、哀しみにフォーカスしましたが、本作は女達の政戦、権謀術数諸々とドロドロのバトルシークエンスばかりなのでどちらかというと血がたぎる作品です。

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