映画「鈴木家の嘘」感想・ネタバレ有 野尻監督上映後トークまとめin松本

野尻監督アフタートーク

右手が野尻監督。

映画には、作る者に根拠がある作品と、ない作品がある。
根拠がある作品は強い。
どうしても伝えたい何かがあるということだ。

橋口亮輔監督の感想コメントの一部だ(公式HPより)。

本作ほど監督の想いが強い作品は、なかなかない。
「家族の自死」という自身の最も深く、暗く、厄介なものに向き合った作品だからだ。
その出来事を通して”家族”とはなにかを観るものに感じさせる。
野尻監督自身が上映後、語ってくれたトークを元に本作の魅力をお伝えしていきます。

※ネタバレします。ご注意ください。

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基本情報

監督・脚本:
野尻克己
製作:
小野仁史(企画・プロデュース)、近藤貴彦
製作総指揮:
深田誠剛
撮影:
中尾正人
編集:
早野亮
公開:
2018年11月16日
出演者:
鈴木幸男:岸部一徳
鈴木悠子:原日出子
鈴木富美:木竜麻生
鈴木浩一:加瀬亮
鈴木君子:岸本加世子
吉野博:大森南朋
日比野さつき:吉本菜穂子
米山:川面千晶

[あらすじ]
鈴木家の長男・浩一がある日突然この世を去った。
母・悠子はショックのあまり意識を失ってしまう。
浩一の四十九日。悠子が病室で意識を取り戻す。
慌てて父・幸男、娘・富美、幸男妹・君子、悠子の弟・博が病院に駆けつけると、悠子は浩一が死んだことを忘れていた。母の笑顔を守るべく、父と娘の奮闘が始まった。
父は原宿でチェ・ゲバラのTシャツを探し、娘は兄になりかわって手紙をしたためるなど、親戚たちも巻き込んでのアリバイ作りにいそしむ。
そんななか、博がアルゼンチンの事業から撤退することが決まり、母への嘘の終わりが近づいていたーー。
(公式HP:あらすじより抜粋)
2018年11月16日(金)より新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー。 出演:岸部一徳 原日出子 木竜麻生 加瀬亮 岸本加世子 大森南朋  それは、悲しみを乗り越えるための優しい嘘。

野尻克也監督 情報

1974年12月30日生まれ、埼玉県出身。
東京工芸大学芸術学部映像学科を卒業後、映画業界に入り、熊切和嘉監督、豊田利晃監督、大森立嗣監督に師事。
以降、橋口亮輔、横浜聡子、石井裕也ら日本映画界を牽引する監督たちの現場で助監督を務める。
チーフ助監督として参加した作品に、
熊切和嘉監督『青春金属バット』(06)/『フリージア』(07)/『海炭市叙景』(10)
大森立嗣監督『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(10)/『まほろ駅シリーズ』(14)/『セトウツミ』(15)
武内英樹監督『テルマエ・ロマエ1.2』(12)(14)
石井裕也監督『舟を編む』(13)
橋口亮輔監督『恋人たち』(15)など多数。
自ら手がけたオリジナル脚本によって本作で長編劇映画監督デビューを飾る。

また、監督自身も兄が引きこもりの後、自死しており、本作はご本人にとってのプライベートフィルム的な側面もある。

”不在による存在感”こそ、本作が向き合ったもの

野尻監督は自身の体験について

生まれた時から当たり前に存在する家族を「愛している」という意味も実感もわかなかった。失った時に肉体の一部を持っていかれたような気持ちになって初めてわかった。当たり前にそこにいるはずの人がいないという不在の強烈な存在感こそ、本作のキモだった。

と語る。
本作の光一の部屋には、印象的な小道具が多く出てくる。
・浩一が寝たまま消せるように、紐の長さを調整した電飾紐。
・窓からの風、残り香。
・押入れに住みついているコウモリ など。
それらは、全ていかに浩一を画面に映っていないところに表現するかの演出。
いないほど、存在感が増す。という実体験がリアルに映画の中に現れ、観客はその感触を追体験させられてしまう。そのとき、これは鈴木家の話でありながら自分の大切な人が亡くなってしまった体験へと置き換わる。

富美役はオーディション選考、選考で演じてもらったのは一番愛憎が吹き出すシーンにした。

実に400名の中から、木竜さんが見事選ばれたが、そのオーディションに使われたシーンは、65行からなる長台詞による富美の兄への手紙を劇読するシーンだ。
通常セリフは3行以内におさめるのが一般的な中、65行というのはそれだけ感情が爆発した映画の成功を決定づける重要なシーンだということがわかる。
実際65行全てやったわけではないと思うが、このシーンの成否をオーディションで監督はどうジャッジしたのか?

曰く「家族を本当に恨む。というのは、反対の愛があってのものだと思う。だから、特に細かく指示はしなかった。自分の人生の中の真剣な部分。どれだけ人を憎んだこと、愛したことあるか?彼女たちが抱えているものが出てくれば成功だと思った」

とは言いながらも実際の撮影の際は、なんと13回もリテイクを重ねたとのこと。家族の嘘によって、表に出さずどこにも吐き出せず溜まっていたものが吹き出す。

最も感情的で、芝居的にも見どころの素晴らしいシーンです。

木竜さんの演技は、監督の想像を超えていた!

監督は撮影前から、助監督時代世話になっていた大森立嗣監督から「想像を超えろ、お前の想像を超えたものを映画の中に入れないと弱い映画になる」と言われた一言をずっと気にしていたそう。そんな中、演技として超えてきたのは木竜さんの演じた富美だった。

きっと男では出せなかった、女性的な愛情だ。

と監督は語る。

富美が川にざぶざぶと入水し、母・悠子に止められるシーンがある。
本当は、富美の印象的な「会いたいの」というセリフはない。
パンフレッドに収録されている決定稿の脚本にもない。
監督は

「そこでそんな甘さや優しさはないほうがいい。とも少し思ったけれど、引っ張られてしまった。シーンを観たとき”これでいいんだ”と思えた」

と語っている。

自死した息子をもつ母娘の関係性に、女性キャストの二人も絶賛!

母・悠子役の原日出子と娘・富美:木竜麻生の二人はインタビューの中で、母と娘の関係がすごくよく描けている脚本だと話した。
確かに母と娘の関係というのは、息子と母の関係とは違う。
同性だからこそ生まれる感情が本作には見事に現れている。

富美は、引きこもりのくせに母に溺愛される兄浩一を素直に心配することができなかった。
そこには、母が間に立っている。
兄が大好きな母と、母を大好きな兄。
同じ家族なのに、つまはじきにされたような感覚。

けれど、そんな兄を認めることは、盲目的に溺愛する母と同じになってしまう苛立ち。
そういった感情を母に一方的にぶつける富美。
対して言葉では、富美と浩一を同じように大切に思っていると言いながら、やはり浩一を常に案じてしまう悠子。
そんな些細だけれど、絶妙な”家族”の機微が本作では描かれている。

監督自身は男性だが、プロデューサーや知人の女性家族の話を取材して書き上げたという。

自分の実体験どおりにしなかったのは、映画はエンターテイメントだから

野尻監督の兄は引きこもりで、あるとき自ら命を絶った。
本作の根底にある強い感情と伝えなければならない意思はその体験にある。
だが、本作は兄と妹の話になっている。
一体なぜなのか?
監督は、「映画はエンターテイメントだから」と語る。

自分の体験が少しは混じっているけれど、みんなに観てもらう作品じゃないといけない。そのためには女性の方が、映画としてのヒロイズムがあると思った。

と職業監督としての強い想い、考えを話した。

それでも、ポツリと付け足した「自分が客観的になれるのは女性の方が良かった」という言葉は妙に私の頭に残っている。いかに年月が経ったとしても囚われ続けるものなのだと感じた。

富美の新体操シーンは、最も素晴らしい見どころ。

富美は大学で新体操部に所属している。役者の木竜さんが小・中と新体操を9年間習っていたため、本来は、陸上部だった設定を変更したそう。
とてもしなやかで美しい新体操シークエンスが何度か出てくる。
その中で、ひときわ印象的な踊るシーンがある。
富美が、何かを忘れようとして無心で踊るが頭から離れないというシーンだ
富美が忘れようとしているのは、もちろん「兄の自死した姿」だ。
監督曰く

「日常を描きたかった。本当の苦しみは日常の中にあるから」
「彼女が一番得意なもの、日常に身を委ねる事で、無心になろうとした。それでも、浩一の死に捉われてしまう」という事を意識したシーンになっている。

グリーフケアの会で描かれた、行き場のない人々。

グリーフケアとは…
《グリーフ(grief)は、深い悲しみの意》身近な人と死別して悲嘆に暮れる人が、その悲しみから立ち直れるようそばにいて支援すること。一方的に励ますのではなく、相手に寄り添う姿勢が大切といわれる。悲嘆ケア。(※コトバンク調べ)

ハリウッド映画ではよく公民館などで、車座になって心の傷を癒す会などといった描写が出てくるが、私は邦画では初めて観た。恥ずかしながら日本にもそういった会があることをこの映画を観て初めて意識した。
富美は自身の気持ちを吐き出すため、グリーフケア「残された遺族が語り合う”分かち合う会”に参加する」。
この名前はフィクションだが、実際にグリーフケアを行う会は日本にも存在する。

だが、あまり認知されてはいない。
監督は、日本人は喋らないことが美徳だからなのではないかと語っている。

「日本は、犯罪被害者など、社会的に排除されたかたが行く場所がない。だからこそ、逆に行き場がないけれど、それでも生きていかなければならない人を描くことができると思った。」

家族を自死で亡くした人々が向かうべき場所は、本人達すらも分からない。
だからこそ死と後悔に囚われ続けてしまう。本作の根本に重たく沈み続けている答えのない問いである。

とても印象的な三枚目キャラクター、米山という女性が抱えている心の傷

本作の中で誰もが印象的に思うコメディリリーフに川面千晶演じる米山という女性がいる。
彼女は富美と共にグリーフケアに通っているが、一人だけ妙に明るく、空気が読めない。大阪のオバちゃんが飴ではなく、きゅうりの漬物で元気づけてくれるかのようなキャラクターだ。
本作のすごいところは、このコメディリリーフのキャラクターの行為にも心の傷が関係しているところだ。

監督曰く「たとえ分かち合う会とはいえ、本当に心が通じるかというと、そうではない。だから、”私が悩みを聞いてあげるよ。”と構ってくる人も何かを抱えていると思って、イメージを膨らませた。」

全く余裕のない米山のエピソードを聞いてから、変わらず元気な米山の笑顔の中に、人が失ってしまったものの重さを余計に感じる素晴らしい演出となっている。

まとめ

結局のところ、これは忘れる話でも、気持ちを軽くさせてくれる話でもない。
物語上一つの希望に向かって幕を閉じるが、実はその先には、何もない。
ずっと抱え続けなくちゃならないことに向き合っただけの作品だ。と後から監督が淡々と語ってくれた。
私は、本作はとても優しい話だと思った。監督にもそう感想を告げた。
それはおそらく、この作品が「ずっと抱え続けなくちゃならないことに”家族で”向き合った作品」だからだと思う。
家族の糸が切れないからこそ、向き合わなければいけない。けれど、糸が切れないからこそ、一人ではないのだということをこの映画は教えてくれた。

○おまけ関連作品
【本作音楽と主題歌を担当】

【野尻監督の助監督時代の傑作映画】

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