裏テーマは夢と贖罪の物語。映画「リメンバーミー」考察・超ネタバレ

リメンバーミー公開ポスター

これがもうとんでもなくグッドムービー。何が良いって、「死者の日」が持つ伝統意識と「世代を超えた家族」と「音楽の力」を見事に家族愛で繋いでるところ!もちろんこの話は「家族愛」のお話なんですけれど、愛を必ずも好意的に捉えてない。長い長い長い時の中で脈々と受け継がれる伝統と負の遺産、この負の遺産が徐々にほぐれて、とうとうラストには取り払われるのが最高に泣けるんです。本作は脈々と受け継がれる先祖家族への愛と呪いの話。綺麗だけじゃあない。それでも希望もある。それが死んだ人間と出会うことが出来ると言われる「死者の日」なんです。そのキーワードは”贖罪””音楽禁止”です。そこについて語っていきたいと思います。

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基本情報

監督
リー・アンクリッチ
脚本
エイドリアン・モリーナ
製作総指揮
ジョン・ラセター
音楽
マイケル・ジアッチーノ
製作会社
ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ
ピクサー・アニメーション・スタジオ
公開
2017年11月22日(米),2018年3月16日(日)
出演者
ミゲル-アンソニー・ゴンザレス(石橋陽彩)
ヘクター-ガエル・ガルシア・ベルナル(藤木直人)
イメルダ-アラナ・ユーバック(松雪泰子)
エルネスト・デラクルス-ベンジャミン・ブラット(橋本さとし)
エレナ-レニー・ヴィクター(磯辺万沙子)
ココ-アナ・オフェリア・ムルギア(大方斐紗子)

「あらすじ」
天才的なギターの才能を持つ少年ミゲルはミュージシャンを夢見ているが、過去の悲しい出来事が原因で、彼の一族には音楽禁止の掟が定められていた。ある日ミゲルは、憧れの伝説的ミュージシャン、デラクルスの霊廟に飾られていたギターを手にしたことをきっかけに、まるでテーマパークのように楽しく美しい「死者の国」へと迷いこんでしまう。ミゲルはそこで出会った陽気で孤独なガイコツのヘクターに協力してもらい、元の世界へ戻る方法を探るが……。(映画.comより)

※ガンガンネタバレします。ご注意ください!

さて、そんなわけで早速本題。

なぜヘクターは愛する妻子を残して飛び出してしまったのか?

カラフルな切り紙の旗(パペル・ピカド=Papel Picado)
冒頭5分、「死者の日」の祭りで道々の頭上を飾るカラフルな切り紙の旗(パペル・ピカド=Papel Picado)※上記画像。と呼ばれるものでズバズバとテンポ良くある音楽好きの音が家族を捨てる物語が描かれていたが、家族を捨てた男とはヘクターの事だが、本作後半で娘(ココ)への愛の深さを吐露する。その愛こそが名曲リメンバー・ミーに込められた想いなのだが、なぜそこまで深く家族を愛していた男がそれらを振り払い出ていってしまったのか?ここに本作の一つのテーマである”音楽への夢”がある。現実のメキシコではマリアッチ(路上や結婚式、宴会の席で演奏をする人々)と呼ばれる独特な音楽家がいます(2011年にユネスコ無形文化財にもなった)。彼らは広場や街角で1曲いくらでお金をもらい演奏をする生業である。音楽で生計を立てるとは巡業の生き方であり、それこそがメキシコの音楽を愛する人が行き着く生き方だったのかもしれない。
イメルダもまた音楽を愛した女だった、二人はそんな夢を何度も語ったのだろう。だけれどイメルダはココが生まれた事により全てが変わってしまったと作中でミゲルに告げている。いかにも夢泡のような生活をココにもさせる事はどうしても出来なかったのだ。
この夫と妻の家族感の違い、大切なものの順序が変わっていく哀しさと愛しさをさりげなく描いている。なぜ「リメンバー・ミー」を娘ココに為に残したのか?という理由もここにあるのではないかと思う。ヘクターは巡業で有名になり、安定した地位を手に入れたら、また必ず家族の元へ戻ってくるつもりだったのだ。そしてその夢の半ば、夢に溺れたバディに嵌められ何もかも投げ捨てて野垂れ死んだ男となってしまう。

リヴェラ家が靴屋な訳はその土地と伝統にあった

グアナファト夜景
個人的にとても気になった部分である。きっと物語やリヴェラ家の設定、イメルダのメンタリティーなどが関係しているのだろう。と勘ぐっていたら、メキシコで靴と調べるとグアナファト州レオンという街が浮かび上がってくる。靴関連産業が街の主産業となっている正に”靴の街”である。そしてグアナファトは、本作における「死者の国」のモデルの街でもある。リアリティの為に揃えたのだろうと思える。また、イメルダの視点から語れば、多くの街の人間が従事する職業(一番職口が多い)ものを選んだのだろう。と考えられる。
だがそれだけではない。本作の大テーマが”伝統”だからである。リー監督はインタビューの中で「”死者の日”に興味を持ち、作品にしたいと思った。その”伝統”の中に家族の物語がとても重要で色濃く存在する事に気づいた」と話している。その為、伝統は本作においてとても重要な意味を持つ。靴の街で靴屋として伝統を受け継ぎ、守り続ける家族は正に、本作のテーマに沿った家族像だったのだろう。正の伝統を靴に、負の伝統を音楽禁止と二つの伝統を一つの家族の中に描いているのが本作の素晴らしい点の一つだ。

ミゲルとヘクターの共通項は、抗いきれぬ音楽への信頼

二人は共に音楽に惹かれ、また音楽の神に愛された特別な二人だ。才能を有していたからなのか?本作で明確に語られはしないが彼ら二人は結局、誰にどう反対されようと音楽によって人はもっと明るく楽しく愛に満ちた生活が出来ると思っていたフチがある。それを語れないのはもちろん、彼らには同じ位愛する家族があり、家族はそれを理解する事ができなかったからだ。彼ら二人の語ることのできない想いを語るのは実はエルネスト・デラクルスだ。彼はハリボテのスターであり、名声と保身の塊だ。彼の血の通った言葉は「チャンスを掴め」という事だけ。では他の彼から出てくる後世に残った言葉達はなんだろうか?それはおそらく共に各地を回ったヘクターの言葉だろう。
「叶えたい夢があるなら、音楽の力を信じるんだ」と予告特報でも流れるキャッチフレーズなどは正にヘクターの信念そのものであり、ミゲルが最も信じたい言葉だ。ミゲルはそれらの言葉を古いVHSテープで何度も再生し、繰り返し声に出す。声に出すのは幼さのせいもあるが、彼が迷っているからだ。大スターデラクルスと”家族を捨てた男”のはざまで迷うミゲルの姿は、音楽禁止の呪いに囚われたヴィクター家の負の遺産そのものだ。だからこそ、高祖父がデラクルスだと分かった時にミゲルは、思わず大声で家族全員に宣言したのだ。(もう呪いは解けた!高祖父は夢を叶えたのだ)と。ここで普通は”あのデラクルスが祖先!?”と盛り上がる筈だが、ギターを叩き壊すという展開になったのが心にくる。ヴィクター家が背負った長い長い負の遺産はそんなに単純なものではない、本作はそれを取り払う物語でもある。

ココが、父ヘクターへの愛をひた隠しにしてきたのは、裏切られた父への強い愛のせい?

なぜココは、娘が誰かも分からない認知症になるまで父への想いを封じ込めねばならなかったのか?ここに前述した負の遺産による強い圧力がある。
ココはイメルダとヘクターが音楽を愛していた事を肌で感じて分かっている人間の一人だった。破られず織り込まれた写真のギター部分にそれは現れている。それでも、音楽禁止にし、父の良い部分を語らなかったのはおそらく正の伝統を守る為には負の伝統もまた必要だと考えたからではないだろうか?失敗の教訓があればこそ、成功した実績に対して自信がつくものだ。という非常に打算的な答えと、もう一つ。リメンバー・ミーはヘクターとココの再会を誓う二人だけの約束の歌だった。大好きだった父が、その約束を反故にし先に逝ってしまったのがココは許せなかったのではないかという事。認知症になる前までは彼女はずっと許せなかったのかもしれない。そんな事も分からない程、症状が進んで初めてココは父への愛を表に出す事が出来たのだ。

ヘクターとイメルダの二人の償いが負の遺産を取り払った

冒頭で私は贖罪の話でもある。と語った。これはヘクターが家族に許され、敬われる祖先の一人になるお話だからだ。一体なぜ許されたのか、そこには必ず償いがある。ヘクターが償うべき相手はイメルダとココだ。ココへの償いを実際に果たしたのはメッセンジャー役となったミゲルだ。ミゲルがリメンバーミーをココに歌う事はヘクターが約束を果たしココの元に帰ってきた事を表す。やっとココは素直に愛する父を語る事が出来たのだ。多くの愛がこもった手紙が登場する事で、ヘクターの気持ちを孫達もまた理解する事が出来た。だが、それだけでは”音楽禁止”を撤廃するには十分ではない。家長イメルダこそがその呪いを刻んだ当人だからだ。その呪いを、イメルダの中から取り払ったのもやはりミゲルだ。ミゲルは彼女にこう告げる「支え合うのが家族でしょ、支えてよ」と。これは彼女にとっての金言でもある。家族を守り、繁栄させる為の伝統を作った気持ちそのものだ。イメルダが頑なに音楽禁止を貫いたのは、もちろんヘクターへの怒りもあったが自分達よりも音楽が選ばれた悔しさや恐れがあったのかもしれない。その気持ちの果てに現れたのは、罪を犯したミゲルだった。そんな音楽の力を信じるミゲルに振り回される中で、音楽の純粋な素晴らしさを思い出したのだ。
イメルダはヘクターにこうも言っている「あなたの事は許せないけれど、力を貸す」と許さなかったのは家族を置いてまで音楽をやり続けたヘクターであって、音楽そのものでも、愛する家族ミゲルではない。そんな中、音楽と向き合うと事でやっとヘクターの隠された気持ちとも向き合う事が出来たのだ。ミゲルの活躍によって長い時の中で、頑なに繋がれたそれぞれの負の遺産がやっと取り払われたのだった。

まとめ

先祖崇拝的な家族愛の視点からではなく、音楽への夢と贖罪から語ったけれど、「許す」という行為には、いつだってとても時間がかかるものでそういったもの実は描きたかったのではないかとも思う。最後に全く技術的な面や映像的な面を書かなかったけれど、死者の国の造形、背景の美しさや音楽を奏でている映像のリアルさ、そしてスコアの圧倒的良さはもう見事にアカデミー賞にふさわしいものだと思う。お話は、これはもう散々語りましたね。素晴らしい作品でした!

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