映画「寝ても覚めても」考察 同じ顔の二人が持つ意味とは?ラストの朝子の真意。


スポンサーリンク

基本情報

英題
Asako I & II
監督
濱口竜介
脚本
田中幸子
濱口竜介
原作
柴崎友香『寝ても覚めても』
出演者
丸子亮平/鳥居麦 – 東出昌大
泉谷朝子 – 唐田えりか
串橋耕介 – 瀬戸康史
鈴木マヤ – 山下リオ
島春代 – 伊藤沙莉
岡崎伸行 – 渡辺大知(黒猫チェルシー)
音楽
tofubeats
主題歌
tofubeats「RIVER」
制作会社
C&Iエンタテインメント
映画『寝ても覚めても』製作委員会
Comme des Cinémas
配給
ビターズ・エンド
エレファントハウス
公開
2018年9月1日(日本)
製作国
日本・フランス
出展・賞
第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品。
第43回トロント国際映画祭Contemporary World Cinema部門
第56回ニューヨーク映画祭Main Slate部門にも出品

「あらすじ」
東京。サラリーマンの亮平は、会社にコーヒーを届けに来た朝子と出会う。真っ直ぐに想いを伝える亮平に、戸惑いながらも惹かれていく朝子。ふたりは仲を深めていくが、朝子には亮平に告げられない秘密があった。亮平は、かつて朝子が運命的な恋に落ちた恋人・麦に顔がそっくりだったのだ――。公式HP

本作の最も大きな要素に「顔がそっくりの2人の男に恋をした」というものがある。
同じ顔の2人に恋をする時それは相手のどこに恋をしたのだろうか?

顔の造形がタイプだった。と言ってしまえばそれまでですが…そう安易なお話でもないので今回はもう少し掘り下げてみます。

※ネタバレします。ご注意ください

脳作用としては、同じ顔の男に恋をするのは自然だが、ストップは効くのか

「女が現実と仮想の間を揺れ動く時、愛しさが増幅するー」
茂木健一郎(脳科学者)

茂木健一郎がコメントを寄せていた。

突如目の前に、全く同じ顔の人間が現れた時人は情報としての同じ顔の別人とは別に、
同一人物かもしれない人と認識するだろう。
麦だと認識している亮平に恋をするのは、
忘られぬ恋心の延長線上に今があるだけだ。

だが、その認識と現実がひっくり返った時愛しさを押し留める事が出来るのだろうか?
もし押しとどめる事が出来ないとしたらそれはどちらに恋をしている事になるのか。

かつての麦か、目の前にいる同じ顔の亮平なのか、それは一体どんな愛なのだろうか?本作の面白い点だ。

原作と映画の方法論という二つのアプローチから考察していきたい。

原作から解釈すると、同じ顔は衝動的愛のトリガー

原作は目の前にあるものを「見る」ための作品だと著者は語っている。公式HP

今、目の前にいる同じ顔の二人を「見る」とはどういう事なのだろうか。
それはおそらく、今この瞬間の衝動に身を委ねるという事だ

冒頭より本作が何度も意識しているのは、この点でだろう。説得力のあるフィクションである為に欠かせない要素だ。
深さよりも正しさよりも、この瞬間に「立ち現れた愛」に身を任せる事。
顔が同じ二人が運命の相手になってしまったのはこの衝動があってこそだ。

これは欲望に似ている。
欲望とはその殆どが実は目の前に現れるまで知覚する事が出来ないのだ。
ラスト朝子の愛はずっと消えずに流れ続けていたのではなく、目の前に現れる事で突如として形を成したのではないか。
その欲望めいた衝動の正体を一つの愛だと、本作は物語っている。

だが、本作の愛はそれだけではない。

映画の方法論から見ると、同じ顔は横たわる日常の中での愛を効果的にしている

濱口監督はファッションポストのインタビューの中で

「カメラは、今そこにある。という事を映し出してしまうもの。フィクションには実は向かない。だからこそ、フィクションを通じて観客が納得する。納得せざる得ない作品を撮りたい」fashionpost.jp

と語っている。

本作でカメラに映し出された亮平と麦という別人は、当たり前だが東出昌大ただ一人だ。別人というフィルターを通しているからこそ観客は認識する事が出来る。
そのフィルターは、二人の異なったキャラクターであり、作中で流れていった時間でもある。

先ほども語ったが、同じ顔である事は衝動的愛のトリガーでもある。
朝子にとってある時まで、亮平と麦という同じ顔の人物は別人ではなかったのだと思う。

そこから作中では8年の時を一またぎする。
だがそこには8年分の歳月が堆積したシーンが生まれている。
この降り積もった時間の中で、同じ顔の二人は分離していったのではないだろうか。
分岐したパラレルワールドのように。
時間はあらゆるものを変化させていく。
麦から亮平へと時間をかけて変化していったのかもしれない。
ラスト朝子が決断に及ぶに至った愛とはどんなものだったのだろうか?
それは長い時間の中で育んできた愛に他ならない。画面に写りこまなかった日々の日常の中で堆積された愛だ。
ここにおそらく震災が、本作の中に入り込んいる意味があるのではないだろうか。
震災という破壊の後にあったのは、変化こそしたが日常だったからだ。
朝子が仙台で決断するのに、説得力があるのはこういった部分だと思う。

まとめ

同じ顔の二人に恋するってどういう事なのだろうか?という疑問から掘り下げてみました。
今この瞬間で捉えれば同一人物的でもあるし、長い時間の中ではくっきり別人になるという事です。正にRIVERですね。
川がとても良いモチーフになっています。
きっと朝子はラストで自分はもう別の川を流れていることに気づいたのかもしれません。考察、解釈しがいのある良い映画でした。

スポンサーリンク
スポンサーリンク