映画「ロブスター」考察・オープニングとラストシーンの意味とは?(超ネタバレ)

ロブスターラスト前

ギリシアの鬼才。ヨルゴス・ランティモスのシュールブラックコメディ作品。
監督の他作品もいつも考察がはかどる内容なので、自分の見方を表明しておきたい。

観た方はこの記事を読んで見方を広げていただけたら幸いです。

本作は「自己愛の輪廻」を描いているのではないか思う。

・観客に答えを投げかけるラスト
・動機不明なオープニングシーン

は結びついていてそれぞれのシーンの意味と監督がギリシア人であることなどを分析していくうち、このテーマに辿りついた。

本日は、この点を考察してみます。

※完全ネタバレです。ご注意下さい。

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基本情報

監督:
ヨルゴス・ランティモス
脚本:
ヨルゴス・ランティモス、エフティミス・フィリップ
配給:
ファインフィルムズ
製作国:
ギリシャ、フランス、アイルランド、オランダ、イギリス
公開:
2016年3月5日(日本)
出演:
デヴィッド – コリン・ファレル
近視の女 – レイチェル・ワイズ
独身者たちのリーダー – レア・セドゥ
メイド – アリアーヌ・ラベド
滑舌の悪い男(ロバート) – ジョン・C・ライリー
足の悪い男(ジョン) – ベン・ウィショー
鼻血を出す女 – ジェシカ・バーデン
ホテルのマネージャー – オリヴィア・コールマン

「あらすじ」
独身者は身柄を確保され、とあるホテルへと送られる世界。
そこでパートナーを45日以内に見つけなければ、自身が選んだ動物に姿を変えられて森に放たれてしまう。デヴィッド(コリン・ファレル)はそのホテルに送られ、パートナー探しを強いられることになる。
期限となる45日目が迫る中、彼はホテルに充満する狂気に耐え切れず独身者たちが潜んでいる森へと逃げ込む。そこで心を奪われる相手に出会って恋に落ちるが、それは独身者たちが暮らす森ではタブーだった。(eiga.comより抜粋)

映画『ロブスター』公式サイト。大ヒット上映中

ギリシア神話におけるナルキッソスの自己愛変身が本作の変身のモチーフ!?

本作の監督であるヨルゴス・ランティモス監督作「聖なる鹿殺し」でも、ギリシア神話をモチーフにしており、公式には何も言われてはいないが、本作においても関係があると思われる。

そもそも人間が動物に変身する物語といえば、ギリシア神話を思い浮かべる人も多いはずだ。

そして有名な話に現代のナルシストの語源となった「水仙に変身したナルキッソス」の寓話がある。

ナルキッソスは自己愛に目覚め、水面に自分を映し、うぬぼれていく。
自分の像が写る水面だけを見すぎて、そのうちに水仙に変身してしまい、水面で自己愛に溺れてしまう。

というものだ。

この寓話こそ、本作においてのモチーフなのではないだろうか。
結婚せず、シングルのままでいるものを動物に変えてしまう世界。
その中で結ばれる二人に、一貫して共通するものは互いの”共通点”である。

「歌が好き」「よく鼻血が出る」「近視」である。

この結びつきに見られる大きな特徴は、二つある。

・自分主眼で考えている。

・想像の余地がない。

本作に出てくる人々は、決して自分と違う素晴らしい点を見つめようとはしないのだ。
想像力が乏しく、自分のことが大好きなのである。

自己愛の果てに、動物になってまでも殺され、また人となり繰り返す

「自己愛」という点を踏まえて、オープニングとラストシーンについて語ろう。

オープニングで牛を射殺する女が意味するものは、愛した相手が、自分ではなく動物(この場合は牛)になることを選んだのを許せなかったからだ。

エンディングで、盲目の女が一人待ちわびているまま終わるのは相手の愛を信じ待ちわびる女と、自己愛のためにそれを裏切った男という意味だ。

この二つのシーンは「裏切り」と「復讐」という点でそれぞれ呼応しており、共通しているのは「自己愛」を貫くという点だ。

オープニングにおいて、先に裏切ったのは相手だが、相手を殺すことで自分の気を晴らすのはやはり自己愛だ。

そして相手の愛を受け止めきれず、動物に変わるのもまた、自己愛の結果なのだ。

本作は、そうした自己愛の結果が、動物に変わってしまうこと。
さらには、もう一歩踏み込んでそんな動物は、殺されてしまうところまでを描いているのだ。

輪廻転成までを考えていたかは微妙だが、オープ二ングとエンディングで描かれているということはループ的な意図を感じさせる。

殺されたのちまた人に生まれ変わり、自己愛のために動物にされ、そして殺される。

本作は、愛の不条理を描きながらも、相手を思いやる愛が分からずに繰り返し続ける物語でもある。

もう少しそれぞれのシーンを、紐解いてみたい。

オープニングシーンで、女性が牛を撃ち殺したのは愛の裏切りため

オープニングは女が車を運転しているシーンだ。
ある地点についたらおもむろに下車し、目の前にいる牛のうちの一頭に二度発砲する。牛が倒れたところで、タイトルクレジットとなる。

人が動物になるという奇怪なルールから察するに、この牛は以前は人間だったのだろう。

でも、なぜこの女性はこの牛を殺さなければならなかったのだろうか?

私は、この牛が以前人間だったとき、この女性を裏切ったからだと考えている。
牛となってなお、相手の裏切りが許せなかったのだ。

これは、前述した「自己愛」というテーマとラストシーンと結びついて出した結論である。

その前に、この牛を女が殺す動機について、いくつかの案を却下した理由を説明しよう。

私は、4つ程パターンがあると判断した。

  1. この牛とは不倫関係にあり、牛になったことが不憫で殺した。
  2. この牛は自分の伴侶と不倫関係にあり、牛となっても許せず殺した。
  3. この牛は、元パートナーで、牛になったことを知り不憫で殺した。
  4. この牛は、元パートナーだったが、ある理由で自分を裏切り逃げた。後に牛になったが、女は自分を裏切ったことが許せず殺した。

私は、この中で4だろうと思う。

1、2はありそうな話ではあるが、本作において「不倫」は一度も語られない。
不倫した人々がどうなるのか?そもそもいるのかすら分からないのだ。
もし不倫絡みなら、その事を本編で少しでも語っているだろう。
なので、本作としてはこの二つではなさそうである。

3は世界観的にないだろう。
誰かや自分を裏切る、偽る、だますエピソードは何度も出てくるが、相手の気持ちを思い、真実思いやりで親切をしている人間はただの一人も出てこない。
そもそも兄である犬をはデヴィットは連れて歩いている。
「不憫だから死なそう」という世界観ではない。

一つ一つ却下すると、おそらく4だけはありえそうだと思う。
意味付けとしては、前述したラストシーンと呼応しているいう点が挙げられる。

ラストシーンは、愛の不条理さを描いた間(ま)

非常に秀逸なシーンだ。
盲目の女がレストランでデヴィットを待ち続ける。
30秒以上の長回しで盲目の女を写し続ける。

デヴィットは、盲目の女との愛を確立するために自分もまたナイフとフォークで自らの目を突き刺して盲目になろうとトイレへ立つ。
とうとう盲目の女の前にデヴィットは姿を見せぬままエンドロールが始まる。

私は、デヴィットは愛の決断を出来なかったと考えている。
もちろん「自己愛」ためだ。

ゆえにこのラストシーンはとても素晴らしい。

このラストシーンの間(ま)の中には、裏切られるまでは「真実の愛」が込められている。
盲目の彼女は待ち続ける限り「真実の愛」を保ち続けることができるのだ。
と同時に、裏切られてしまった行き場のない愛の切なさも感じ取ることが出来る。
どちらの見方であっても、とても情感豊かに観ることが出来る素晴らしいシーンだ。

私は、後者、愛の不条理を感じた。

この余地を残している点がとても良い。

ヨルゴス・ランティモス監督は、他作品「籠の中の乙女」「聖なる鹿殺し」でもラストシーンはいつも観客にそのシーンの意図を投げかけて終わる。

私は、そういった作品が大好きなので、とても共感できる。
作品創造に、観客が巻き込まれる楽しさが用意してあるのはとても嬉しいことだ。

そこからまた面白いのは、それぞれの人がどう判断したかを知ることでもある。

なので私は、自分の考察をここにお伝えしたい。

盲人か獣か。の二択こそ、本作が意図した決断

デヴィットと女を繋いだものは「近視」である。

しかし、女はデヴィットと恋仲になり、逃げ出そうとしたことまでが明るみになり、シングルゲリラのリーダーによって盲目にされてしまう。

デヴィットは、近視の女が盲目になる前に、話している男が近視かどうかをもの凄く気にするシーンがある。

それは、彼女と自分だけをつなぐ共通点だからであり、他の男とも同じであったら自分達は運命の相手ではなくなってしまうかもしれないと考えたからだ。

つまり「近視」という共通点=運命の愛であり、「近視」から”盲目”になった女は運命の相手ではありえない。

この獲得した運命の愛のために、再び”盲目”という共通点を結ぶことができるか?という逆説的な問いこそ、本作のラストシーンが提示したものだ。

相手への愛のために盲人と化し、目に見えるものではなく、愛だけを信じて生きるか。

それとも

自分への愛のために、目に見えるものを信じ、動物に変身して生きるか。

本作が観客に提示したものもまた、この点なのではないだろうか。
結局、獣を選ぶと理不尽な世界の中で、輪廻を繰り返し続けるという強烈な皮肉を込めていたのだと思える。

これは余談程度の補足だか、興味深いことに、ナルキッソスの話はやや続きがある。

水鏡に自分を見出す数年前に、ナルキッソスは盲目の預言者テレーシアに占われ「己を知らないままでいれば、長生きできるであろう」と予言されている。

ラストシーンは、信託だったのかもしれない。

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(考察ブログもありますよ!観た方はぜひ感想シェアしましょう)
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