大事なものほど見せない傑作映画、アルプススタンドのはしの方:感想・考察

この作品は、演劇原作を映画化したため抽象の力を強く持ったものになっている。それは、見せずに想像させること。

甲子園を舞台にしながら、一切野球シーンも野球部も出てこない映画など前代未聞だろう。だが、人は隠されるほど見ようとし、ずっと見ていたはずの場所からふいに飛び込んでくる輝きに耳が熱くなる恥かしさと浮足出す喜びを感じる。この映画はそんな体感を与えてくれるのだ。

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基本情報

監督:城定秀夫
脚本:奥村徹也
原作:
籔博晶
兵庫県立東播磨高等学校演劇部
製作:久保和明
出演者(役名-役者):
安田あすは -小野莉奈
藤野富士夫-平井亜門
田宮ひかる-西本まりん
宮下恵-中村守里
久住智香 -黒木ひかり

【あらすじ】
高校野球・夏の甲子園一回戦。夢の舞台でスポットライトを浴びている選手達をスタンドの隅っこで見つめる冴えない4人。最初から「しょうがない」と勝負を諦めていた演劇部の安田と田宮。そこに遅れてやってきた元野球部・藤野。エースの園田に密かに思いを寄せている帰宅部の宮下。それぞれの想いを抱えたまま、格上チーム相手で戦況不利な野球が先の見えない試合展開になるとともにそれぞれの思いも熱を帯びていく…。

映画『アルプススタンドのはしの方』公式サイト

輝けなかった者達にしか見えない輝いている者達

「アルプススタンドのはしの方」にいる4人の学生はいずれも夢叶わず努力報われず、その足を止めてしまった者達だ。彼/彼女らが見つめる先にいるのは「輝いてる者達」、甲子園という夢のマウントに立っている野球部のメンバーだが、本作はそれを一切見せない。他者の成功や挫折を目隠しすることは、常に4人が自分と向き合い続けることを意味している。

彼らの口から頻繁に出てくる名前、自校ピッチャーにして四番のエース「園田」、同じく万年ベンチにして藤野曰く”超下手だけどずっと練習している”「矢野」は、そのまま実現しなかった夢の中の自分であり、諦観の理由と羨望の対象であると同時に、そうであったかもしれない”成功”と”努力”の象徴だ。その全てをこの名前だけの二人が持ち得ているのは見えないからこそだろう。

物語後半、座っていた4人が立ち上がるきっかけを与えるこの野球部員達は、まるで自分達の中にもいるかのような錯覚を覚える。いや、誰の中にも「園田」と「矢野」がいることを「しょうがないことなんてあるか!」という力強いセリフと共に激しく胸に迫ってくるのだ。そんな熱さに当てられてほしい。

見えない背景が見せる希望

本作は演劇のワンシュチュエーションという構成を生かし、ほぼ”今”しかない。冒頭とラストシーンは時間軸が別だが、回想は一度も用いずアルプススタンドの4人を描き続ける。彼/彼女らの過去に流した汗も苦渋も悔しさも成功も見せない。ただセリフだけで語られるそれらは、この4人がまだ何者でもなく、どこにも辿り着いてはいないことを意識させる。人の価値は過去の成果で決まってしまう。だが、それが全て言葉から発せられたものは余白が多分にある。見せない背景にはその余白、のびしろと言い換えても良いものを感じさせるのだ。これは「しょうがない」に打ちのめされた者達の物語だけれど、同時にのびしろを見せる作品でもある。

まとめ

古くは「ゴドーを待ちわびて」、青春邦画では「桐島、部活やめるってよ」など不在によって強烈に存在させるという手法はは過去にもよく使われたものだ。本作も、あえて見せない部分にこだわった作品だけに、その不在は何を意味するのか?を感じつつ、ぜひ見えない部分を覗き込んで欲しい。

(蛇足)

見せない点にフォーカスしたが、巧みに見せている点も多い。最も象徴的なのは、アルプススタンドの真ん中にいる人物、久住智香だろう。吹奏楽部部長にして、学年のトップの成績を誇り、あの「園田」と付き合っているというキャラクターの苦労と頑張りの一面を見せるフェアネスも本作の良いところ。

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