映画「妻よ薔薇のように」感想・超ネタバレ。コメディながら母の大変さと家族の成り立ちを教えてくれる作品。

妻よ薔薇のように公開ポスター

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基本情報

監督・原作:
山田洋次
脚本:
山田洋次、平松恵美子
撮影:
近森眞史
照明:
渡邊孝一
録音:
岸田和美
美術:
倉田智子
編集:
石井巌
音楽:
久石譲
制作・配給:
松竹
公開:
2018年5月25日
出演
平田周蔵:橋爪功平
平田富子:吉行和子
平田幸之助:西村まさ彦
平田史枝:夏川結衣
金井成子:中嶋朋子
金井泰蔵:林家正蔵
平田庄太:妻夫木聡
平田憲子:蒼井優

「あらすじ」
ある日、3世代で暮らす平田家にドロボウが入り、史枝(フミエ)の密かに貯めていたヘソクリが盗まれてしまいます。ヘソクリをしていたことに対して怒る夫の幸之助(コウノスケ)に、妻である史枝の不満が爆発。史枝は家を出ていってしまいます。家事を担当していた史枝がいなくなり、母親の富子(トミコ)の体調も良くないことから父の周造(シュウゾウ)が家事をすることになりました。しかし、慣れていない家事に四苦八苦する周造。史枝がいない平田家はこのピンチを乗り越えることができるのでしょうか…。

東京家族から始まった、平田家の「家族はつらいよ」シリーズも3作目!
思えば、山田洋次監督は「家族はつらいよ」というタイトルを名付けたとき、すでに「男はつらいよ」のようなシリーズ化をちゃっかり考えていたのではないかと思う。
2はまだ続編らしく、1とどう変えるか、どこを残すかなど実験的な要素が多いけれど、3作目になるとシリーズ枠決定!みたいな堂々とした雰囲気が漂っていた。おそらくキャラの役割やクセが固定されて芝居をする役者さん側も役に馴染んだからだ。

これはひょっとすると寅さん「男はつらいよ」に次ぐロングシリーズになるのかも、と思って慌てて1、2を見直して思った事は二つ!
1つは、家族をつなぐ温かな気持ちについて繰り返しあらわしている。
2つ目は、1.2と比べて3は演出方法がずいぶん違う。
テーマは、1から変わらない。
4世代からなる大家族(平田家)に、現在の社会問題が降りかかってきて、てんやわんやする家族一同。
それを最終的には”家族の力”で解決する笑いと感動の喜劇映画だ。

これは3でも変わらないが、その演出方法、特に史枝に対しては、なみなみならぬ肩入れぐあいだった。
それはなぜなのか?もちろん一つの目の温かさに関係している。そこを語りたいと思う。

※ここより盛大にネタバレします。ご注意ください

史枝にだけ音による感情表現がしっかりされている

1、2と比べてみると3はやけに劇中BGMが少ない。その中にあって、いつも音色が流れ出すシーンは決まって史枝が一人思いにふけるシーンばかりだった。それもそのはず、本作は史枝が平田家を家出してしまう事が一番の大問題だからだ。
つまり彼女が主役の作品だ。だが、それにしても他の人物の時はほぼBGMなしはあまりに極端だと思う。
その理由はおそらく、彼女に共感する事がいちばん楽しめると伝えたいからであり、同時に「平田家」という4世代の異なった家族をまとめるものを一番理解しやすいからだ。

それは、「史枝がなぜ家出をする事になってしまい、そして戻ってきたのか?」という本作のテーマそのものである。
さっき温かさという言葉を出したが、平田家の面々はなんだかんだで温かな人物だ。温かさ、温もりとは何かについて色々な方法で本シリーズはあらわしているが、今作において言えば愛の実感だ。それが史枝の家出の理由だ。愛の実感をなくしてしまい彼女は出て行き、最後にはきちんと取り戻し、平田家へ帰ってくる。山田洋次監督が「家族はつらいよ」シリーズを通して伝え続けていることだ。
愛の実感がなければ家族は、どんなに長い時間や同じ屋根の下にいても家族にはなれない。逆にそれさえあれば、こんな絵に描いたニセモノ劇の中にも家族は宿るのだ。

とはいえ、愛の実感とはつまりどういうことなのだろうか?それをあらわす細部こそ、本作の素晴らしさのひとつだ。
そして何よりそういった細部こそこの映画から、自分のものに変えて持ち帰る事の出来る素敵さなのだと私は思う。
愛の実感をあらわすハウツー(身振りや言葉)を笑いと感動にくるんで僕らに届けてくれるのがこのシリーズなのだ。

史枝が愛の実感をなくした原因は、”主婦”という仕事を夫が認めていないせい

これは現実の社会問題でもある。主婦という仕事はなぜだか軽く見られがちだからだ。
主な仕事は、炊事、洗濯、掃除、買出し。社会の歯車としてイマイチ分かりづらいからか。女性は一歩下がって家長である男に従うのが美徳という考え方が変に広まってしまっているせいか、かつてヨーロッパでは奴隷が行なっていた分野だからなのか、理由をひとつには絞れないが、本作でも史枝の”専業主婦”という仕事を夫の幸之助はきちんと認めていない。
幸之助にとって仕事をしているのは、自分だけであり、頑張って家族を養っているのもまた自分だと思い込んでいる。
その思い込みが、家事の合間に居眠りして空き巣に入られてへそくりを盗まれてしまった史枝に
「俺が香港でクレーム対応に頭を下げて頑張っている時、居眠りなんていいご身分だ」
「へそくりなんて、家の為と嘘ついて俺の給料をピンハネしていたって事だ」
など、とんでもなくヒドい言葉をぶつけてしまうことになる。

史枝がリビングで空き巣と遭遇し、怖い思いをした事やへそくりをしていたこと、盗まれてしまったこと、を申し訳ないと思っていることなど、史枝の気持ちを幸之助は全く分かろうともしなかった。
史枝がどれほどの大量の家事をこなし、思わず居眠りしてしまうほど疲れているかなど幸之助は考えてみたこともなかったのだ。

かくして史枝は、夫に理解も心配もされない事に絶望し、出て行ってしまうのだ。

ちなみに補足までに、パンフレッドの中では史枝が専業主婦と働いている中身を専門技能職扱いとして時給換算した特集が組まれていた。転載不可なので、興味があったらぜひ調べてみてほしい。パンフレッドでは史枝さんは月収換算で約29万、年収で約360万だった。30代の中小企業サラリーマン平社員と似た収入だろうか。決して侮ってはいけない仕事だ。

もっと内訳なども詳しく知りたい方は、下記のサイト様が詳しく計算してくださってます!
主婦の年収はいくらぐらい?家事労働をお金に換算する方法3つ/白金産地の恐ろしい家計簿より引用。

観客に愛の実感を抱かせる平田家一同の行動

お馴染みの家族会議で、史枝以外全員集合してどうするか話し合う。必ず全員集まっている。仕事で不参加。とか、電話で参加なんて事はない。この顔を突き合わせて幸之助と史枝の事に皆で心配し、頭を悩ませるというのが正に愛の実感だ。でも、そこに居ない史枝にはそれが伝わらない。逆に幸之助にとってはその実感を感じるのが、とても痛くうっとうしい。その為なかなか素直になれない。ではどう解決するのか?本作で何度か出てくる言葉の中に「他人だった」というものがある。毎度全員集合する現実にはなさそうな仲良し家族もかつては皆他人だった。史枝が嫁に来る瞬間、家族として受け入れる側の思いを、庄太(しょうた)を通じてポロリと口にする。他人だった誰かを家族に迎えるとき「この人はここできちんと幸せになってほしい」と願う。平田家を貫いている一つの合言葉だと私は思った。
そして、庄太が幸之助の背中を押す時に促したのは、簡単ではっきりとした史枝への行動だった。本シリーズは、いつも言葉より先にあるものを大切にしている。

また、史枝にしても実家の茂田井で友人の家で思わず、史枝は「子供達が可哀想」と泣き出してしまうシーンがある。子供達への愛は別物で、きちんとあるんだという事をあらわしていますが、子がかすがいになるわけではなく幸之助は自分の足で茂田井へ一人出向きます。タイトルからも分かるように本作は母でもなく、あくまで妻としての史枝を描く作品だからでしょう。

史枝が愛の実感を取り戻せたのは、素直な愛の告白のおかげ

幸之助が史枝の実家にたどり着き、香港土産を手渡すと中からばら柄のスカーフが出て来る。正にタイトルの回収だ。史枝の「あなたが選んだの?」というセリフが微笑ましい。そして幸之助は素直に「お前がいないと俺はダメなんだ」と改めて告白する。家族の役割として必要だと告げるのでも、今更心配顔をして取り繕うわけでもない。役割を取り払い一対一の関係に戻っての告白よりハッキリした実感を伴う事なんて多分ない。愛の告白のダイナミズム、パワーの凄さを改めて感じた。

まとめ

本作は、家族のお話でありながら、その家族を作る”夫婦”という関係がどうつながっているのかに目を向けた作品だ。ただ、改めてストーリーを追いかけてみると、平凡な夫婦の痴話喧嘩話に過ぎない。一体どこに感動や温もりがあるのだろうと考えると、家族全員が痴話喧嘩に挑むところだろう。皆自分の事のように大騒ぎする姿こそ、本シリーズの一番の特徴だ。”家族”をハッキリと一つのまた別な存在として捉えて、その存在を維持する為にいつもドタバタする。なぜそんな努力を払い維持し続けようとするのか?それは維持する事に愛の実感が必要で、むしろそういった愛の実感が素晴らしいからなのではないかと思う。愛の実感を得たい、与えたいが為にその存在を維持し続けているような、そんな理由と方法が持ちつ持たれつの集合体が本作の”家族”なのではないかと思う。

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