安曇野移住支援インタビュー第4弾。
本日のメインテーマは「感性」と「その先にある形容できない感覚」についてです。
ふんわりした話題ではありますが「土地に呼ばれる」「運命の歯車の中で今ここに辿り着いている」といった感覚はお分かり頂けると思います。
安曇野スイス村にて勤務しております。
ご本人曰く”ライブ人間”の川上さんに安曇野の観光という部分もふまえてお話をお聞きしました。
【川上(かわかみ)はるみさんプロフィール】
松本市に十五年在住、その後安曇野市内で何度か居を移し現在は豊科に戻り”信州安曇野スイス村”営業部にて働いています。
一昨年東京で就職後、昨年再び安曇野へ戻って来られた。
「信州安曇野スイス村」
東京に行ったからこそ、自分の中の地元愛に気づけた。
Q、一昨年は初めて東京勤務されたとの事ですが、どうして戻ってこようと思ったんですか?
東京以前の私は、安曇野市豊科→松本市→穂高→豊科とずっと同じ地域を行ったり来たりしていました。
そうすると灯台下暗しなところがあって良さに気づけないんです。
むしろ毎日同じ場所で同じ顔と会っていると悪い部分ばっかりピックアップされてしまっていました。
けれど月のうち3/2程度東京で仕事した時期があったからこそ安曇野の良いところを意識できました。
特に地元にいるときは意識していなかった黒沢川の桜並木を見たとき心からああ良いところだな。と思いました。

黒沢川の桜
安曇野の水道水はめっちゃ美味しい
Q:東京と安曇野を比べてみてどうですか?
まず、大きな違いはお水ですね。
東京の水道水は申し訳ないですが、飲めませんでした。
みなさんコンビニなんかでメーカーの水を買ってる理由が分かりました。
以前から、他地域の友人と話すと「安曇野の水道水はめっちゃ美味しいよ」なんてよく聞いてたんですけれど、実は東京に行くまで実感がありませんでした。
戻ってきたからこそ、その差がわかりました。
水道水を普通に飲めて、美味しいなって幸せに気づけました。
都市と自然のバランスが充実している。
安曇野は少し行けば楽しめるものが多いと思います。
ちょっと行くと松本という特徴のある都市があります。
自然ならちょっと行くと山があったり、ワイナリーや果樹園もあります。
東京が持っていない部分で充実していると思うんです。
地元にいすぎるとそこに目を向ける事ができませんでした。
逆に新しい大型スーパーができたりすると便利という観点から、喜びを感じてました。
けれど今は、地場産の野菜や果実をもぎ取れる醍醐味を味わえる土地だと思っています。
人生の中の運命的な歯車が、今の職場につながっている。
実は私は、運命的なもので色々なことを決めたり変えたりしています。
不思議なサイクルがあり仕事も何度か変えています。
けれどこれも不思議なことに、仕事と仕事の間は空かないんです。
何かに導かれてまた東京から安曇野に戻ってきた。
何かしら安曇野というところの縁の中で生きているんだと今は強く感じています。
もちろん東京でしていた仕事は、出会えない業界の人たちと仕事ができた部分もあり有益な時間でした。ビジネスを行う面で東京はやっぱりすごいなと実感しました。
私は、ライブ人間なんです。
人それぞれ運命の転機は違うと思いますが、私は多分思いついた流れで生きています。
「そろそろここにいたらいけないよ。」
「まずいよ。」
というタイミングを大きな意志を通して気づかされている感覚です。
その降りてくるような感覚を得たらすぐに行動に移しています。
それがなければ今はないし、先もないんです。
私は未来設計というものが苦手で、というより今を生きたいと思っているので先を決めたくないと思っています。
側から見たら危なかっしい人に見えるかもしれませんが、それでたどり着くところが運命で決められてた場所だと思うんですよ。
もちろんその間には紆余曲折もあり悲観的になる程、どん底の時期もあります。
決して平板な道ではありませんが、そういう苦しいことが起きたから次の転機が訪れて来るんだとも思うんです。
不思議なことに次が来るんです。多分、必ず。
アナログによる感性が大切。
私は五感で感じるものが感性だと思います。
そして感性を磨いていった先に、わからないけれど感じ取れるものが出てきます。
私の持論ですが、人には、未知のお店や地域などに足を一歩踏み入れたときに(ちょっと違う)とか(自分とここは合わないな)逆に(ああいいなあ)という五感ではない感覚があると思っています。
4年前福岡の友人に会いに行った折、たまたま志賀海(しかうみ)神社というところへ伺いました。
そこに行ってから妙に気になり調べてみたら、志賀海神社は安曇野という地域を形作った安曇族のルーツである阿曇氏(あずみうじ、安曇氏)発祥の地でした。
そういった感覚というか勘のようなものはきっと五感の先、与えれらたものを活かしていった中で生まれるものです。
安曇野は、山の景色、土や木を五感で感じられる土地
安曇野での過ごし方は、お金をかけて何をするということではなく、そこに在る自然の流れの中で感動するものや景色の中にストーリーやイメージが浮かび上がってくることが醍醐味なのだと思います。
来てくれた皆さんにも感じて欲しいことです。
現代はネットの時代だからこそ余計に意識してでも感性磨きに訪れて欲しいです。
そこから人と人とのコミュニケーションを通じてコミュニティを育んでもらえるような場所になればいいなと思っています。
自分を守るためにも感性磨きは必要。
五感を磨いて見えない勘みたいなものを養っていくことは自分を守る意味でも大切です。
嫌だなと感じる場所に行って(もう来たくない)と感じるより、来たときに自分とマッチして(ああここは良い気だな)と思ってまた来ようと思う回数を増やしていく方がずっと良い生き方です。
なので普通に生きていく中で大事なことは、与えられたことを活かすことなのかなあと思います。
Q、話は変わり、郷土観光という点で今どんなことを気にしていますか?
幼少の頃からのソウルフード「灰ころがしおやき」。

灰焼きおやき/筑北村「月路」メニューより
今私はスローフードのような地元の郷土料理に興味を持っているんです。
その中で、やっぱり長野といえば「おやき」というイメージがあると思うんですが、私が小さい時によく食べたのは今の蒸した小判形のものではなくてその名も「灰ころがし」といって、囲炉裏の中に本当にまん丸な球体のおやきを転がして入れてあったものなんです。
表面はフランスパンくらいの硬さで、こぶし大のまん丸です。
中身はベーシックに野沢菜、切干し、ナス。
ナスは味噌が入っていて美味しいんです。
灰の中にころがしておくので、色はグレーで灰を払って食べるんです。
それが私の郷土おやきなんです。
今でも生坂村「月路」やあかしなの直売所(ファーマーズマーケット)などで販売しています。
ぜひ機会があったら食べてみて下さい。
「ナスの鉄火」食べたことありますか?
他にも夏場は、ナスの鉄火味噌です。
ナスが地場で沢山採れるので、それをお砂糖と信州味噌で炒めたものです。
ご家庭によって味が違って、ちょっとからし入れたりとか、お酒を加えて炒めるとか、辛いのが好きな人は青唐辛子をそのまま入れてしまったりします。
どの家庭でも夏おかずの定番料理です。
そういった郷土料理が今さら美味しく感じるというか、大切にしたい、もっと知って欲しいと思っています。
人の力で、不便さを楽しめる場所にしたい
Q、今後、安曇野でしていきたいことはありますか?
田舎の人は恥ずかしがり屋でわにる(シャイなこと)人が多いんですが、観光しに来てくれた人に対してもう少し組織として積極的に話しにいければなあと思います。
安曇野はアクセスがお世辞にも良いとはいえません。
公共交通機関も便利ではないです。
けれど逆に不便さを楽しみ変えることを求めている方も多いです。そして、それを形にするのは人の力です。
そんなに大げさな話ではなく、道だったり分からないことが色々あるのを前提にサッとサポートができる。ちょっと困っているを助けてあげられたらと思います。
最近は外国からの方(いわゆるインバウンド)も増えています。中国、韓国の方がツアーでは多いです。
言葉が喋れないといって黙らず、ジェスチャーでもいいし、文を読んだり絵を描いてでもコミュニケーションしていきたいなあと考えています。
まとめ
”自然豊かな土地では、感性を育める”とよく聞きますが、その先には大きな輪の中で流されるのではなく、選び取るような感覚が備わるのかもしれません。
そうやって出会う人と人が”御縁”と呼ばれる繋がりを育むのではないかと本インタビューを通じて感じました。
川上さん、貴重なお話ありがとうございました。