こっちはバリバリネタバレ編です。
crybabyの良さを何も気にせず語りまくります!
基本情報及び、あらすじ等は下記まで!
NetflixアニメDEVILMAN(デビルマン) crybabyはここが独特(ネタバレ無し)
というわけで早速。
本作は「愛」の物語であると共に「暴力」の物語だ。
これぞ暴力だと思いました。
暴力とは、力で全てをひれ伏し、従わせるなどというものではない。
全てを引き裂き、叩き壊し、喰らい尽くす。
人が御すことは到底不可能な力だ。
「暴力」が持つ魔力を十二分に描いた作品こそデビルマンだったのだ。
圧倒的、無慈悲な脚本
脚本というか、原作がそうなのだろう。
(未だ私は原作を全く読んでいない)
とにかく死ぬ。全員死ぬ。
主人公すら死ぬ、ラスボス以外全員死ぬ。
この救いのなさ。
しかも!死に方も凄い。
誰一人報われた死に方をしない。
辞世の言葉をいまわの際に正しい人に伝えられた人など一人も出て来ない。
皆、失意のうちに死んでいく。なんという非業のストーリーか。
かつてここまで酷い話があっただろうか。
デビルマンが語り継がれる作品になった理由の一つを見た気がした。
悪魔、人間、神、あらゆるものの中に潜んだ”暴力”をあぶり出す
第一パートはその非道さを悪魔に全振りしている。
第二パートは人間を狩る人間がその悪辣非道さを振るう。
そして第三パートにおいてそれら悪魔と悪辣な人間達は一斉となって、人間を根絶やしにする。
全てが人間のせいでも、悪魔のせいでもない。
観客はどうしても人間の方に目が行きがちだが、作品全体として見るとその悪行のバランスは意外に取れている。
暴力のフラットさを象徴するかのように私には感じられた。
等しく皆が委ねることが出来る力が暴力なのだ。
ひたすらに行使するために暴力が存在する世界であり、結局その力のみに頼った悪魔、人間、神の物語でもあった。
人間の弱さについての描写
本作は人間の弱さを実に多面的に描いている。
第1話で明は「なぜ走る?身体能力では犬猫にすら劣るのに」と問われ、
第4話でミーコはソドムに「記録が伸びた人がいる」との理由で忍び込み薬に手を出し、
第7話なんてタイトルにもなってるけど、悪魔かもしれない人間を、悪魔と判断し殺し合う人々の映像が、大戦時の実写処刑映像と共に映し出される。
第8話では幸田はデビルマンとして明に助けられたが悪魔側へ裏切る。
個人的に特にインパクトがあり、異様だったのは9話。
美希惨殺、生首掲げ踊りシーンだ。
もはや狂いきった人間の姿だった。
「人間の中に潜む狂気」
「寄り集まった群衆の思考なき暴力」
「少しでも異なったものを排除しようとする純潔思想」
等、全体を通して純粋な暴力を行使する悪魔に対し、人間だけが素直に暴力を行使していない事が分かる。
人間にとって暴力は理由付けがなくては行使できない力なのだ。
人間には暴力を制御する事が出来ないのだろう。
ゆえに一度力を行使し始めてからはエスカレートを繰り返す。果てが美希の生首踊りとなる。
人間が暴力に対してどうなってしまうのか?について激烈に描いたフィクション作品としても価値のある作品なのだ。
マイノリティに対する愛を最も強く訴えた!?
あらゆるプロモーションでも言っている通り、これは「愛」の物語だ。
了(サタン)という、愛など知らなかった生き物が、初めて明を愛してしまい失ってしまった事を涙する話。
明がデビルマンであっても、認め受け入れてくれた美希を明が愛する話。
牧村家族にて太郎が悪魔化した時、亜樹子が自身の体を食べさせる愛。
夫ノエルがその現場を見つけて撃つ事がとうとう出来ず機動隊からもかばって死んでしまう愛。
カイムがシレーヌに抱いていた愛。
ワムの美希に対する愛。
ミーコの美希に対する愛。
色々な愛が溢れているんですが、一番独特な演出は9話、美希のSNSによる愛の告白でした。
全世界発信で、美希はSNSを発信します。
それを世界中で多くの人間が画面を見つめ、リアルタイムに更新されていくメッセージを追う形をとります。
同時進行で明は、人間同士で悪魔狩りしている中に入り込み涙を流しそれを止める。
SNSの文面は、人類愛の話のようでありながら、実はマイノリティの叫びを込めた愛の宣誓なのではないだろうか。
たった一人の愛の告白。
”生物を超えたカップル”である二人のエピソードの積み重ねが世界中で巻き起こっている現代のマイノリティに対する悲しい差別や紛争にリンクしているのではないかと思う。
美希という天使のように疑いを知らず、正しさの証明のような女性を描く為の1シーンであり、
不動明の善としての存在の肯定、
世界中のデビルマンが勇気を振るい団結する機会を得た瞬間。
そして明と美希二人の気持ちが人心に届いた瞬間。
世界が一瞬だけひっくり返った瞬間として描かれています。
世界中のデビルマンは、声を出せぬマイノリティそのものです。
そこに声が届いた瞬間のカタルシスを本作のピークに持ってきている。
ひょっとして本作でひっそりと込められた願いは、マイノリティであるために、息を潜め、愛を引き裂かれた人々への宣言だったのかもしれません。
それでも結局「寄り集まった群衆の思考なき暴力」により、美希は”天使”ではなく”魔女”と断じられ殺され、四肢を細切れにされ生首を串刺しにされ晒される事となります。
この美しくも愚かなまでの演出が実にスゴイ!!
そして何より静かに画面が広がっていく9話のラストED。
明と美希の二人が湾岸をバイク二人乗りして走る姿こそ、未来の希望だとばかりに描かれています。
背景の真っ黄色なオレンジは、きっと朝焼けなんだと勝手に思っています。
明けていく朝に向かい二人は走っているのです。
下記、第9話。美希の告白より一部抜粋。
受け入れます。無条件で愛します。
みんながそう思えば、平和が訪れる。私一人が無力でも、一人一人が無力でも
みんながそう思えは、世界は一瞬で変わる。
悪魔と人間との醜い戦争の只中のこのSNSを用いた告白は正に現代へのピュアなメッセージであり、
多分デビルマンを現代で復活させた意義だったんじゃないだろうかと私は思います。
トップシーンと、ラストシーン、月の出現起源「巨大衝突説(ジャイアント・インパクト説)」から来ているっっ!
月が生まれたのは地球にテイアと仮称する巨大惑星が衝突しえぐれた部分が月となったとする説が、同説です。
本作では、この巨大惑星テイアが実はサタン率いる悪魔達で、彼らが乗り込んで来た衝撃で原始地球は抉れ、月が出来たのだという事です。
それほど、昔から悪魔っていたんだぜ!って事ですね。
そしてラストシーン、明も敗れ了ことサタンと悪魔達の星となった地球に再び神が襲いかかりまた地球は抉れ新たな二番の月ができているところで本作は幕を閉じます。
結局、神と悪魔の最終決戦はどちらが勝ったのか。
トップシーンで悪魔が現れて月が出来た。
ならラストシーンでは悪魔が敗れ去って、もう一つ新しい星が出来たのではないだろうか。
つまり歴史は悪魔が来る前の原始地球に逆戻りした訳です。
二つの月を残して。
そしてまた、悪魔は地球にやって来て人間との戦いを繰り広げる。
おそらく原作のバイオレンスジャックなどまで考えるとそういう事なのではないかと思う。
そういうとはつまり、同じ星の別の時代で悲劇の戦いはまた繰り返すのだ。
まとめ
繰り返し起こる暴力の連鎖、
愚かな烏合の集、
人間、悪魔双方に散りばめられた美しき愛の形が見事に凝縮された作品です。
そして何よりもその描き方。
過激な悪虐さ、救いのなさこそ今もなお語り継がれるセンセーショナルなのです。
ちなみに、途中に出てくる飛田新地料理組合の下りが一番爆笑スポットでした。
外から中まで、完全再現大丈夫なんですか?
素晴らしい作品でした!
○「関連作品」鬼才・湯浅政明作品