激変する街が主役の映画「ベルファスト」感想・考察 10年後でも傑作と言い切れる4つの理由

2022年度アカデミー脚本賞を受賞した北アイルランドのベルファストを舞台に1969年のローマ・カトリックとプロテスタントの宗教紛争を描いた作品。誰に勧めても文句は出ないだろう名作だ。封切り前から各所で絶賛されていた所以がよく分かる丁寧で行き届いた脚本と演出である。

ここでは、観ようか悩んでいる人の背中を押してみようと思う。本作はいつ観ても、今でも10年後に観ても面白いし、後悔することはないと言い切れる4つの理由を挙げる。

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基本情報

監督・脚本・制作:
ケネス・ブラナー
制作:
ローラ・バーウィック
ベッカ・コヴァチック
テイマー・トーマス
出演:
バディ:ジュード・ヒル
マー(バディの母親):カトリーナ・バルフ
パー(バディの父親):ジェイミー・ドーナン
グラニー(バディの祖母):ジュディ・デンチ
ポップ(バディの祖父):キアラン・ハインズ
ビリー・クラントン:コリン・モーガン
モイラ:ララ・マクドネル
音楽:
ヴァン・モリソン
公開:
2022年1月21日(英・インド)
2022年3月25日(日)

【あらすじ】
ベルファストで生まれ育った9歳の少年バディは、家族と友達に囲まれ、映画や音楽を楽しみ、充実した毎日を過ごしていた。笑顔と愛に包まれた日常はバディにとって完璧な世界だった。しかし、1969年8月15日、プロテスタントの武装集団がカトリック住民への攻撃を始め、穏やかだったバディの世界は突如として悪夢へと変わってしまう。住民すべてが顔なじみで、ひとつの家族のようだったベルファストは、この日を境に分断され、暴力と隣り合わせの日々の中、バディと家族たちも故郷を離れるか否かの決断を迫られる。

1969年、激動の時代に揺れる北アイルランド ベルファスト 故郷を想う、家族を想う――大切な想いを持つすべてのあなたへ贈る人生賛歌/原題:Belfast

1.全てを物語る珠玉のファーストシーン

生まれも育ちもベルファストである9歳の少年は、突如、自分の街で勃発した宗教戦争をどう観たのか?

というのが本作の主題に最も相応しいと私は思う。日本で想像するなら1960年に盛んだった「学閥闘争」に小学生が突如巻き込まれたようなイメージだろうか。「そんな事言われてもピンと来ないな」という人ほど、本作には多大なショックを受けることだろう。

主人公であるバディもまた、何も知らず、無関係な状態で、日常を過ごしていた。そこへ突如大挙した暴徒が現れ、怒号と炎とともに街をめちゃくちゃにしたのだから。

バディがリアルタイムに受けたショックを観客が体験することから本作は始まる。臨場感とメリハリがすごいので、体験作品としてとにかく素晴らしい。開始5分で観客は、スクリーンから目が離せなくなるだけでなく、身をこわばらせ没入するだろう。

このシーンは、バディは子ども同士の闘いごっこに興じていた後に、母からの晩ごはんの知らせを受けて帰る道すがら、むき出しの暴力に晒されるという「日常vs非日常」「フィクションの闘いVSリアルな暴力」「1人の子どもVS大挙した大人たち」という3重の対比構造になっている点もまた見事である。

2.繊細さをそのまま描いた丁寧な演出

脚本と演出のすごさはトップシーンだけに留まらない。その後、戦闘の激化といった凄惨さは描かずに、日常の暮らしの中に物理的にバリケードができあがり、内と外をバディは行き来するという点で変化を描く。バリケードが一体何と何を分けたのかを観客は意識せずにはいられない。

その両端にいる子どもらの素朴な恋模様を大人たちが暖かく見守るのも実に良い。複雑な問題は複雑なまま、普遍的な恋の事情もまたそのままに、それぞれを丁寧に描く。戦争のように全てを壊し、一変させるのではなく、かろうじて残っている日常を掌で包み慈しんでいる。そんな愛しさが常にあふれている。

3.最後まで故郷への愛を損なわない豊かな情愛

本作は、ある視点から観れば「変わってしまった故郷を捨て去る」話にも見えるが、最後の最後まで街への愛は決して手放さない。それはバリケードの向こう側へ行っても、人々が同じ気持ちを持ってさえいれば、親しげで穏やかだったあの頃が未来に蘇るかもしれないことを暗示させる。

同時に、街や人が様変わりしてもなお「故郷」であることは変わらないという、ルーツアイデンティティーのメッセージでもある。街の再生と継承と街が自己形成に大きな意味を持っていることを併せて持った大いなる愛の物語なのだ。

4.子どもの視線で描く「思想と暴力」の圧倒的危うさ

最後になるが、子どもの目線で見る思想暴動の危険性の訴え方も白眉だ。本作では一貫して、思想と暴力は乖離している。カトリックのキャサリンも、プロテスタントのおじさんやおばさんも変わらずに街にいて、バディにとって物事はそこまで変わっていない。ただ、元々恐かったチンピラは声高に威圧するようになった。

そんな中で、子どもらはフィクションに憧れて、ある日、チョコバーを万引き窃盗をしてしまう。その延長で、無自覚に思想暴動へ参加してしまうクライマックスシーンは正にその象徴だ。

万引き窃盗と宗教闘争は一切関係がないのだが、犯罪が思想や暴力と結びつきやすくなってしまう不条理な環境をバディ自らの経験によって理解できる。それは同時に、子どもが間違いを犯した時に諭し、正し、律することができる環境だったことと、それができなくなってしまった街を適切に対比して見せることにもつながっている。

子どもが子どもとしていられなくなる理由の一つであり、本作の大きなテーマの一つではないだろうか。観客はこの壊れてしまったベルファストを通して、在りし日の故郷への哀愁と人の営みの尊さと信頼を感じ取ることができるだろう。

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